
快さはすべて自分の中にある
『快さ(肯定的感情)を選ぶだけで、現実は変わる』
こんなにもシンプル且つ簡単なことなのに、なかなか上手くいかない日もあります。
「現実を変えるためには快くならなければ


ご承知の通り「〇〇のために快くなる」とはエゴの条件付けであり、この前提では今完全に快くなることなんて出来ません

単純に「快さを味わう」ためだけに快さを選択する。
わたしは、快さを感じるために、基本的に何を元にしても良いと考えています。
◆願望が目の前に現れていなくても、現状の肯定的側面を積極的に見る。
- 特売やセールで安く手に入れることが出来て、得した
- 特売やセールじゃなくても、わたしには買える経済力がある
- この商品が買えて嬉しい
- 彼と出会ったから、こんなに愛を感じることが出来た
これ、108さんの『Money』に書いてある一文なんですが、本当にそうだな~と思うんですよね。
日々の中にこんなにたくさんの肯定的側面があり、そこに焦点を当てると十分幸せを感じるのに、わたしたち(のエゴ)は積極的にこれを無視している。
わたしも積極的に無視してきましたが


片思いや破局で、現状をとても充足として捉えられない。
それでも、出会った時に感じた内なる自分の愛情は、本当の愛そのものです。
それは、その時その人と出会わなければ感じ得なかったもの。
自分の中心部分の、紛れもないその愛に浸りきることがいくらでも出来ます。
実は、これも108さんの『i(愛)』に書いてあることなんです

わたしも単純にその対象(異性では無いですが、今は離れている愛おしい存在です)に感じた愛に浸っていました。
すると、とても安らかな気持ちになっていったんですよね。
これは、「108さんの 愛に浸る・(相手に)愛を送る で好転した」というカキコミもたくさん見かけるメソッドなんです。
これも『〇〇のために愛を送る(に浸る)』という条件付けを外さないと、愛に浸ることは出来ませんけれどね

◆目の前の幻想と格闘しない姿勢をとる
- 神(内なる自分)の最善におまかせする
- 既にある(既に願望は成就している)ので、安心する
でも、エゴが理解出来なくてもOK。
エゴが腑に落ちなくてOK。
いつもでなくても良い。
だけど、その姿勢は取り消さない。
求めている快さは、全部自分の中にあります。
単に、それを味わえばよいだけだと思うのです。
エゴは、「本願である〇〇が叶うまでは、満足しては/幸せを感じては/快さを感じてはいけないし、感じられるわけがない。手の届く範囲なんかで、想像なんかで満足していては、ハードルの高い本願なんて叶えらるわけがない!」などと、目の前の充足に快さを感じることを許可しません。
元々自分の内部にある快さを素直に感じればいいだけなのに、「まだ〇〇が手に入ってないじゃないか」「まだ〇〇を達成していないじゃないか」とエゴは絶えず急かします。
エゴは、「ハードルの高い本願を叶えた時の快さ」と「目の前にある快さ」を分けますが、それはそもそも同質のものです。
快さを感じていれば、それはますます増幅されいずれ本願だって叶うのに、エゴは急き立てるだけ急き立てて、何もしてくれません。
いえ、、、快さを遮っている時点で、叶えられることを邪魔しています



ですので、エゴと共にダンスはもうしません。
それには、共に踊り続けることを、断固拒否する姿勢が必要です。
その姿勢が、内なる自分との統合へと繋がるのだと思います。
「目の前の幻想と格闘しない姿勢」として、最近また447さんの『~であってもいいし、~でなくてもいい。既に~だから。』(←447さんまとめサイトに飛びます)と心でつぶやくと、とても安心しました~

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「つい、ネガティブなことを考えてしまった・・。こんなことでは現象化しないぞ・・」
こうやって反射的に自分の思考を、在り方をジャッジしてしまいます。
これも巧妙なエゴの罠なんですよね

それを『ポジティブになってっもいいし、ポジティブにならなくてもいい。既にわたしは〇〇だから(←叶った状態の自分です)』と真実を告げることで、何を考えていようが、何を感じていようが、わたしは望むものを受け取っていいと自分に許可を出しているのです。
このメソッド、やっぱりわたしにも合ってるな~

良かったら、是非やってみて下さいネ




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コメント
コメント一覧 (2)
ゆっくり頑張りますー。
moffmocolontaさん
どうしてもネガ~ル時ってありますよね(^^;
わたしもあります!
けれど、沈めば必ず浮上します。
『見たいものを見る姿勢』を取り消さなければ、その浮き沈みもやがて小さくなっていき、意図して→内なる自分に完全におまかせ状態でいられるのだと確信しています。