快さはわたしたちのデフォルト
少し前に気付いたことなんですが、ボーっとしている時に「幸せを感じてみよう(喜びでも心地良さでも、肯定的感情なら何でも良いです)と自分の中心部に意識を集中すると、ジワッと気持ちの良さが伝わってくるんです。
ずーっとそこに意識を向けていると、段々気持ちが温かくなってきます。
時には、ワクワク・ウキウキした踊りだしたくなるような、心が弾む状態にさえなります。
この時、何の条件も浮かべていません。
イメージングもしていません。
ただ、「肯定的感情を感じよう」と決め、自分の中心部に意識を集中しただけです。
反対に、「不快を感じてみよう」と中心部に意識を向けてみると、ワクワクは止みますが、しん…と心の中が静まり返ったままになります。
不快というものは、自分の中心部に意識を向けるだけでは感じとることが出来ませんでした。
いかに普段は無意識に思考を巡らせそこに集中し、積極的に不快を感じていたのか、、、ということが理解出来ました。
目の前の現実世界の現象は、自身の内面を投影している虚像なんですよね。
けれど、その内面で感じている快い(こころよい)ものこそが実像なんです。
(恐れを起点とする)思考が作り出す内面の不快感は、虚像です。
虚像であるにも関わらず、わたしたちは無意識にそこへ取り組み、気付けば、貴重な人生の時間の多くを不快感と共にしています
そもそも内面で不快を感じなければ、不快な現象化なんて無いのに
もし良かったら、ご自分の中心部(わたしは胸元~胃の辺りを意識しています)に向かって快さを感じ取ってみて下さい。
条件付けは不要です。
イメージングも要りません。
ここで感じた快さが、きっとわたしたちのデフォルトです。
だから条件付けが不要なのだと思われます。
目の前の虚像から、内面の実像へ意識を移す機会が増えるにつれ、恐らく現実世界の虚像も姿を変えるのだと思います。
ああ
だから仏像は半開きの目なのね
半分で虚像である現実を見、半分で内面の実像を見ている。。
な~んて思いました
もし不安という虚像をしつこく感じてしまうなら、セドナメソッドで手放すことも出来ます。
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もしくはその不快感を感じ切ると、いずれ無くなります。
虚像だからです。
(実像である『快さ』は、感じ切ると増幅されます)
捻くれ式・ツンデレ式でスッキリする場合もあります。
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しつこいくらい感じてしまうなら上記の方法はとても良いですが、慣れれば不快感に気付いた時点で切り替えも可能になります。
恐らく、この世にいる限り不快を感じないということは無いでしょう。
ですが、意識的でいることで、自分の目指す方向へと向き直すことはいくらでも可能です
この108さんのコラムも、とても素敵です
もしご存じなければ、是非お読みください
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コメント
コメント一覧 (2)
moffmocolontaさん
書いてるわたしが言うのもナンですが、すんなり快さを感じる時もあれば、感じられない時もわたしにはまだあります(^^;