
エゴの見解=不安を一旦受け入れると軽くなる
最近コメントを頂いているmoffmocolontaさんへのお返事をしている中で、わたしにも気づきがありました。
感情や観念を手放しても、不安になることもあります。
時には、望まない現象を目の当たりにしてしまうことがあるかもしれません。
これまでわたしたちが慣れ切った、不安を起点とした思考プロセスは、わたしたちを簡単に解放してくれないことが多いでしょう。
わたしも、ふと不安になることがあります。
「あの望みが叶わなかったらどうしよう・・」なんてね。
これは、ご存知の通りエゴによる見解です。
恐怖を起点とした思考や、わたしたちが不快になる感情。
これはエゴ発信のものです。
エゴとは、この現実世界を体験するために必要なシステムでした。
エゴが無ければ、この陰陽の世界を経験することは出来ませんでした。
元々わたしたちの存在は、充足そのものでした。
不足を経験し得ない存在でした。
そのわたしたちが陰陽の世界を体験するためには、不安を握りしめる必要がありました。
しっかり握りしめていないと、ウッカリまた充足しか体験出来なくなってしまうからです。
そんなことを気が遠くなるくらいに繰り返して、今や、不安を握りしめることの方がすっかりデフォルトになってしまったようです

ですので、不安になると、もはや引力のように不安の中へと引きずられてしまいます。
コメントへのお返事で、わたしは以下のように書きました。
表層意識では起きて欲しくない!と思っていても、実は潜在的には、起こって欲しい気持ちを握りしめています。
ですので、「それが起こって欲しい気持ちを手放せますか?」と問うて手放す、というメソッドなのです。
「起こって欲しい気持ちを・・」と自分に問うた時、どこかスッキリとした気持ちを感じませんでしたか?
これは、無自覚に握りしめていた「恐れが実現してほしい」という気持ちを暗に認めたことからくる安心感なんです。
ですので、このメソッドで効果が感じられない時は、思い切ってその恐怖を直視し、その恐怖の何を一番恐れているのか見つめてみて「それが起こったって、別に構わない」と開き直るのも効果的です。
究極的に、わたしたちはどうやたって死ぬことはありませんし。
わたしは不安になるとよく、「まあいいか。どうせ死ぬだけだし」とつぶやきます(^^;
どうせ死なないと知っているからつぶやいても怖くないし、不安は薄まるのです。
お返事をしてから暫くして『「どうせ死ぬだけだし」なんてつぶやき、ちょっと乱暴だったかなぁ・・」と思いながら、108さんの「ザ・チケット」を読みながら寝ることにしました。
(最近わたしは、別の領域の観念を無意識下に刷り込ませるために、購入した108さんの著書をかけ流しにしたり寝る前に読んだりしています
)そしたら!!
「ザ・チケット」の第1章『エゴの性質を逆用する』に、わたしのコメントした方法が、更に詳しい見解を示しながら書いてありました!
『起こって欲しくないが起こっても、別に構わない』と、エゴが感じている心配や焦燥感を一旦受け入れてください。
それを否定したり打ち消したりすることは、却って不安を強化することになります。
だから、認めてやるのです。
不安を感じていることを肯定してやるのです。
しかし一方で、「別に構わない」と言い切っています。
これは❝本当に最悪なことなど起こらない❞ということを知っている別の領域の表明なのです』
※かなり端折って書いています

「ザ・チケット」←電子書籍「ザ・チケット」の売り場へとびます。
レビューはこちらです。(500円の超おススメの本なので、当ブログ内にリンクたくさん貼っています
)おおおっ!!!
それでわたしは不安が薄らいで、気分が軽くなっていたのか

と、自分に起こっていた構造を改めて客観視していました

不安が起こっても「別に起きても構わない」と一旦受け入れたら、意外にも、少しばかり心が軽く感じられると思います。
この「少しばかり」の変化も見逃さないようにします。
(別に大きく変化したって構わないのですが
)ド派手な変化を期待しているのは、エゴです。
「一気にストーンと楽にならなきゃ意味無いよ!」というエゴはスル―して、気持ちの変化を感じ取ってみます。
それがほんの少しの変化であったとしても、効果を感じられるだけで、別の領域への信頼度が高まるはずです。
そしたら、次に同じこと(「それが起こっても構わない」許可)をすれば、更に効果を感じられると思います。
過去に書いた記事の、高田万由子さんと心屋仁之助さんのやり取りも、同じことが起きていたんですね。
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コメント
コメント一覧 (4)
moffmocolontaさん
そうですね。
感じ切るというのも、とても効果的です(^^)
その感情を感じ切ってあげることで、その役目は終えたことになりますからね。
ある時、いつものように出てきた不安を感じ切っていると「いつまでこんな茶番を続けるつもりやろ?」と感じました。
その頃は随分不安も少なくなっていて「いい加減エゴになんぞ付き合ってないで、充足を見ようよ」というわたしの中心から声だったように思います。
ですので、いつもご自分の中心に従うようにされると間違いないと思います(^^)
感じ切ってスッキリされた感じがまた素晴らしいですね( ´ ▽ ` ) 充足を見よう、そもそも私達は充足100%の存在だったってともみさんのお言葉素晴らしい。既にあるとか別の領域とか、単語に左右されやすいんですが、徐々に見つけられたら良いなと思います。
moffmocolontaさん
そうです!
そもそも、わたしたちは充足そのものなんです。
moffmocolontaさんの深いところでそれを知っているから「素晴らしい」と感じるのです(^^)