
「望みに対するモヤモヤが沸き起こるのはなぜか?」と問いかけていました
ある望みについて、「望みのわたしになって当然」と意気揚々としている時もあれば、モヤモヤ・・と憂鬱な気分になることもありました。全ての望みは叶って当然なんですが、「ある望み」は、わたしにとって素晴らしすぎると感じていることなので、「望みのわたしになって当然」と感じていても、ちょっとドキドキしたりしています。
ということは、言い方を変えれば「ある望み」は、わたしにとって分不相応だと感じているということです。
つまり、わたしに対する認識が低いということですね。
『わたしはそれを受け取って当然』
『わたしはそれを受け取るに相応しい存在だ』ということに気付いて、いつもそれを認識しておくのが良いと思いました。
だって、都度これを思い出さないと「自分には力が無い」という引力に、自我が引きずられてしまいますから。
それでもモヤモヤすることがあったので、自分の中に問いかけていました。
『なぜ、この望みをわたしは受け取っていないのでしょうか』と。
昨日3週間ぶりくらいに、母の顔を見に実家に行きました。
そしたら弟が「これ、返しておくわ」と3週間前に置いていった本を持ってきました。
弟も本が好きなので、何の気なしにわたしのお薦め本を置いていったのでした。
『神との対話』という有名な本なのですが、趣味じゃないかもしれないので「気が向いたら読んで」という気持ちでした。
「返しておく」と言われて「あげるよ」と言いかけたのですが、趣味じゃなかったのかな?と感じて持ち帰ることにしました。
この本はもう10年近く前に読んでいて、当時は「これやー!神に対する正しい認識は!!」ととても興奮しました。
その後何度か読み返しましたが、今は存在さえすっかり忘れていました。
でも久しぶりに手にしたことで、初めのさわりだけ読んでみました。
そしたら!
細かい内容をすっかり忘れていて、まるで新しい本を読んだような新鮮さで読むことが出来ましたし、初めて読んだ時より理解度も格段に上がっていました。
そこで一つの内容に目が留まりました。
あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることも出来ない。
求めるというのは、自分には無いと言い切ることであり、欲するといえば、まさにそのことー欲することーを現実に体験することになる。
したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。
神に感謝するというのは、願いは叶うと認めることだ。
感謝とは、神を信頼することだ。
神というのは、自分とは別の、どこかの遠く上の方にいる存在ではありません。
神は自分の中心と常に繋がっていて、いわば、自分自身が神そのものであるということです。
「神」という呼び名が宗教じみて抵抗があるなら、「宇宙」「ハイヤーセルフ」「本当の自分」何でも構いません。
この存在と繋がっていない人など、誰一人としていないのですから。
わたしはこの文章を読んで、「モヤモヤするということは、神を信頼していないということだった」と気づきました。
本当の自分である神に対して「叶わなかったらどうしよう」と信頼していないから、モヤモヤしていたのでした。
例えば「神様、感謝しています」と心の中で伝えていても、不安になるなら信頼していないということです。
神(宇宙、ハイヤーセルフ、本当の自分・・)が必ず叶えると信頼すれば、安心しか湧き上がりません。
ですので、信頼しているかどうかの指針は、言葉ではなく感情です。
この文章を読んだ時、「わたしの問いかけに対する答えはこれだ!」と的確にわかりました。
わたしは一人が好きなので、人との交流は殆どありません。
ですので、答えをもらう時は、いつもこんな風に本やネットからです。
ですが、今まで答えをもらわなかったことは、記憶する限りはありません

答えを見つけた時は、「これだ!!」とはっきりとわかります。
疑いの余地がありません。
他人から見れば「それが答えだと感じるなんて、あほちゃう?」と思われるだろうことでも、自分にとって「これだ!」と感じたものは正解なんです。
自分以外の誰かに聞くのではなく、自分の中心に問いかけて放っておく。
これが一番良い方法だと思います。
なにか疑問をお持ちなら、是非ご自分の中心に問いかけてみて下さい。
答えが来たら、必ずわかります。
そして「願いが叶わない」とお悩みなら、「自分にはそれを受け取る価値が十二分にある」ことを認めてください。
「分不相応」なんて、これからを生きるのに全く不要な価値観です。
自分の中心は、本当の自分は、100%望みを叶えるあなたの執事です。
安心して今を過ごしましょうね。(わたしもそうします

そして、わたしと同じように「わたしには力が無い」「わたしには(受け取る)価値が無い」としつこいくらいにそんな思いが湧き上がってくるあなた。
わたしたちは元々「何でも可能にする力がある」存在でした。
そんなわたしたちが「何でも可能にする力があるわたし」を経験/実感するために、「力の無いわたし」を経験/実感することが必要でした。
対極(自分ではないもの)を体験しないと本当の自分、なんでも可能にする本当の自分を実感することは出来ません。
ですが、もう「力の無いわたし」はやり尽くしました。
わたしたちは「本当の自分」「なんでも可能にする力があるわたし」を思い出すために、ここに存在しています。
もう潔く諦めて、本当の自分を、なんでも可能にする自分を認めることにしましょう




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コメント
コメント一覧 (2)
本当の私、何でも可能にする私に戻りたいと意図します。
moffmocolontaさん
だいじょうぶです(^^)
moffmocolontaさんはいつでも「本当の私」なので☆