関連付けをやめたら 世界と一体になれた
写真は、雲一つない真っ青な昨日の空です雨の日も悪くないけれど、こういう空を見るのは本当に気持ちが良いです。
わたしは長い間、「こちらをじーっと見てくる人が苦手」という意識を持っていました。
特に道を歩いている時などに、見知らぬ人から不躾に見られることがとても苦手でした。
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ですが、「関連付けをやめよう!」と決心してから、人の視線が全く気にならなくなりました。
特に人の視線について関連付けをやめよう、と意識したわけではありません。
生きていくうえで、今まで当たり前に思っていた「〇〇だから、△△だ」「〇〇だから、××に違いない」という関連付けを全部外してしまおう!と意識しただけでした。
108さんの電子書籍「ザ・チケット」の『関連付けの放棄をすることで、エゴの無益なゲームは終わる』という言葉に強く惹かれて、即座に「わたしもそうしよう!」と決意しただけでした。
なぜなら、そうした方が自由で楽だからです。
そうしたら、やたらと道行く見知らぬ人から話しかけられるようになりました。
橋の上から川を泳ぐ魚に凝視していると「何か見えますか~?」と笑顔で話しかけられたり、
日陰の少ないバス停でバスを待っていると、同じバス待ちの人から「こちらの日陰へどうぞ」と手招きされたり、
お肉屋さんで、コロッケが揚がるのをお店の椅子に座って待っていると、隣でコロッケを食べていた小学校低学年と思われる男の子に「椅子がガタガタするね」と話しかけられたり。
しかも、みんなとても優しいのです。
そればかりか、お店の店員さんも優しい人ばかりだし、信号だってわたしが渡るタイミングには殆ど(100%では無い)青に変わる
なに、これ~~~~~~~~~~~~~~
世界がわたしに優しい。
世界が「わたしに優しい世界」に一変したという感じで、とても変な気分です。
わたしの中では「わたしが関連付けをやめたから世界が変わった」というのは気のせいではなく、間違いの無い事実で、
わたしが「関連付けをやめる」という自身の内面を変えたことで、一瞬にして世界が一変したと実感しました。
そしてそのことにより、わたしと世界に区切りが無い感覚になりました。
わたしと現実世界を分けているもの、わたしのすぐそばにある空間・空気も含めた目の当たりにしている現実世界が、実はわたし自身と一体だったという、変な感覚に襲われました。
わたしは特に、自愛していたわけでも、「わたしは素晴らしい!」などのアファメーションをしていたわけでもありません。
ただ関連付けをやめただけ、です。
ということは、「わたしに優しい世界」がデフォルトだということです。
今までは、デフォルトである「わたしに優しい世界」に、「〇〇だから△△だ」「〇〇したら、××に違いない」というエゴの判定を持ち込むことで、その判定を元にした現実を体験していた、ということです。
わたしの場合、じっと見る人を「不躾にわたしを観察することで、自分との優劣を確認している」「『この女性のレベルを判定してやる』と、無意識に見ている」という観念を持っていました。
「じっと見てくる人=悪意がある」と関連付けていました。
だから、睨むような表情でじーっとこちらを見る人と何度もすれ違う、という体験をしていたということです。
ところがこの関連付けをやめたことで、デフォルトである「わたしに優しい世界」へと直結したということです。
すごい、108さん
関連付けを放棄しただけで、本当にエゴから解放されて、世界との一体を感じることが出来ました
ということは、今後の人生すべてにおいて「わたしに優しい世界」「わたしに自由な世界」がどんどん展開していくということです。
これから楽しみで仕方がありません
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