セドナメソッドの解放で「本当はすべてが自由だった」ことに気付いた
セドナメソッドを始めて1か月が過ぎようとしています。日々淡々と解放をしていく中で、様々な気づきがあります。
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メソッドの中で「好き/嫌いを手放す」解放と、「利点/不都合を手放す」解放があります。
①自分で問題だと感じられるテーマを挙げる
②テーマについて「好き・嫌い」または「利点・不都合」を書き出す
③それぞれ※3つの欲求のどれからきているかを確認→解放する
という手順のものです。
3つの欲求
●制御欲求・・コントロールしたいという欲求⇔制御されたいという欲求●承認欲求・・愛されたい、認められたいと言う欲求⇔愛したいという欲求、否認欲求
●安全欲求・・安心したい、生存したいという欲求⇔死にたいという欲求
※制御欲求・承認欲求は、ほとんどが安全欲求に繋がっていると思います
例えば、「金銭的豊かさ」というテーマについて利点・不都合を書き出します。
それぞれがどの欲求からきているのかを書き足します。
【利点】
●選択肢が増える→安全
●世界が広がる→安全
●お気に入りの空間が作れる→制御、安全
●便利になる→制御、安全
【不都合】
●制限の中で工夫する楽しみを失くす→制御
●「自分はこんなに頑張っている」アピールが出来なくなる→承認、制御
●自分に対する周りの好感度を下げる→承認、制御
これは、わたしの「金銭的豊かさ」について出てきた利点・不都合です。
ですので、人によって感じることは異なります。
ここで自分にびっくり
金銭的に豊かになることで、わたしが不都合だと感じていることに
●ビンボーの中で工夫することを楽しんでいる自分がいる
●「ビンボーなのにがんばって生きているわたしってえらいでしょ?!」アピールをしている
●お金持ちになると周りから嫌われる
という価値観を持っていたいたこと
わたしは思い出しましたよ、「オレたちひょうきん族」のラブユー貧乏のコーナーを・・。
あの人たち貧乏を嘆いているように見えて、その実、それをネタに楽しんでいるようにも見えていました。
わたしはあのトリオの仲間だったということに、改めて気づきました
そしてそれぞれの欲求の確認と解放が進むと、
「なんだ。初めから制限なんか無かったんだ。初めから自由だった。制限があると自作自演していただけだった」
と気づきます。
こうなったら、望みへの執着も消えます。
強く願うということは、「現状はその状態ではない」という発信になります。
現状への強い否定とも言えます。
ところが欲求の解放により、初めからすべてが自由だったことに気付くと、「望みの状態になってもならなくてもどのみち安全だから(豊かだから/自由だから)どっちでもいいか。でもそうなったら嬉しいな」とフラットな状態でものごとを見ることが出来ます。
結局447式メソッドと同じところにたどり着いた
達人447式メソッド
「私は〇〇してもいいし、〇〇しなくてもいい。(なぜなら既に〇〇だから)」
結局、この心の状態と同じになっていました。
入り口は色々違えども、結局同じところに行きつくのだと思います。
なぜなら、わたしたちはみんな同じひとつの存在なのだから。
ラブユー貧乏の何人トリオも、知ってか知らずか自作自演をしているのです
(いや、実はめっちゃ裕福だということも考えられるけれど)
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