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15年前のあの日から、わたしはどのように心の対処をしていたか

大好きな愛猫ゲンキという元野良猫が旅立って、15年が経ちます。

今は毎日思い出しては涙するということは無くなりましたが、それでも一緒に過ごした日々を思い出すと今も涙が溢れてきます。


この間、声に出して『ゲンキ』と呼んでみたんです。

そしたら、生前は当たり前のように呼んでいた馴染みの音だったのに、なんだか別世界の音のように感じられて愕然としました。

この15年の間、心の中で呼ぶことは何度もあったけど声に出して呼ぶことは無くなったので、わたしの中で既に馴染みの音では無くなっていたんですね。


この時、15年の長さを実感しました。






愛猫ゲンキとの出会い

わたしが愛してやまないゲンキのことを少し聞いてください。


出会いは、一人暮らしから実家暮らしへと戻る前日、区役所へ出向いた道すがらでした。

その日は市役所へ向かういつもの道ではなく、何となく細い路地を通りました。

しばらく進むと、カバーの掛かった大型バイクの中でミャーミャーと鳴いている子猫の声がしました。

気になってカバーの中を覗こうにも、バイクにカバーがピッチリと掛けられていて覗く隙間すら出来ない・・・。

気にはなるけれど、区役所へ行かなければいけないし、状況はちょっとおかしいけどバイクの持ち主の猫かもしれない。

取り合えず用事を済ませに役所へ向かい、帰りに寄ってまだ居るようなら中を確認しようと思いました。



用事を済ませてバイクのところへ戻ると、また「ミャーミャー」と鳴きました。

「まだおった

そう思いながら固く結ばれていたカバーの紐を数カ所ほどき、ドキドキしながら中を覗きました。

お目目と耳の大きなガリガリの子猫でした。

生まれたばかりではなく、少し成長している大きさでした。

今思えば生後2か月位だったのかなという感じです。


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カバーの中から出すと、嬉しさからなのか、わたしの肩から首に廻り頭までを何度もクルクル駆け回りました。

取り合えずわたしは、外見上はケガなど無くてホッとしました。


さて、これからこの子猫をどうしよう…と迷いました。

実家は、動物を飼うのは昔から禁止されている。(特に猫嫌いな母)

バイクの主が飼い主だったら、突然子猫がいなくなれば心配するかもしれない。

でも、このままここへ置いていくことは全く考えられない。


考えた末、バイクに実家の電話番号と「子猫を預かっています」と書いたメモを貼り付け、カバーを元通りにして取り合えず家に連れて帰ることにしました。



実家では、意外にもすんなり子猫が受け入れられました。

見た目の可愛さと持ち前の人懐っこさから、1日で家族中を虜にしたようです。

猫嫌いだと昔から言っていた母などは「あんたの名前は今日からゲンキやで。ガリガリから早く元気な体になりや」と、いつしか名付け親にもなっていました








連れてきた夜、猫用ベッドを作ってそこで寝かすようにしました。

でも、電気を消して暫くするとカサカサカサ・・・と何かが動いている音がします。

電気を点けると、猫用ベッドから抜け出して、わたしの布団に入ろうとしているゲンキの動く音でした。

まだ獣医さんへ行く前で、ノミが毛の間からコンニチハしているのを確認していたので、一緒の布団で寝るのは躊躇われて、猫ベッドに戻しました。


すると、しばらくするとまた「カサカサカサ・・・」と音がします。

パチッと電気を点けるとゲンキが猫ベッドから抜け出ていました。

で、また戻しました。

電気を消してしばらくするとまた「カサカサカサ・・・」

(「暗くなるとカサカサ動いて)Gかよ」と心で突っ込みながら見ると、そこには匍匐前進でわたしの布団へ向かうゲンキの姿が。


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本人(猫)は、全く気付かれていない気満々ですが、わたしは暗闇にも目が慣れ、動いている姿がバレバレ

でもそれはGではなく、匍匐で必死に前進する兵士のようでした

普通の姿勢で歩いているのではなく、体を低く保ったままの前進。



そして点灯するとピタッ!!!と止まるのでした。


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いや…バレバレなんすけど。


こんな可愛い仕草を見せられて、一緒に寝ないという選択ができる飼い主さんがいるのでしょうか。

ノミがいても、もはや無理。

ゲンキに根負けです。

一緒に私の布団で寝ました。

ゲンキはとても大きくゴロゴロと喉を鳴らして気持ち良さそうでした。







ゲンキが旅立ってからの2ヶ月間

あれからいつもいつもどんな時でも、わたしのことを好きでいてくれたゲンキ。

そんなゲンキの旅立ちは、当然ながらわたしにとって一番辛い経験でした。

寝ている時、手をなぞるフワッとした感触に「あ…ゲンキかな?」と起きた瞬間に、居ないという現実に戻る悲しさ。

カーテンが風に揺れて、それが手を触れただけでした。

そんな喪失感も酷かったけれど、わたしの場合罪悪感が一番に大きかったです。

ゲンキは恐らくわたしと出会う以前、食べ物を確保するのがとても困難な状況だったのだと思います。

とても痩せていましたから。

そのせいだと思いますが、いつも食べ物をせがんでいました。

わたしや家族はなかなか「ダメ」が言えなくて、はっきりとした1日の食事量も把握せず、殆どせがまれるまま与えていました。

そのせいで太って、そして病気になりました。

「自分には飼う資格が無い」と自分を責めました。

(今もわたしが死なせたと思っています)

そんな罪悪感、喪失感などから、ストレス性の頭痛が2週間続きました。

亡くなった2日後くらいから出勤していたと思いますが、その時は「会社に行けて良かった…」と感じました。

一人で家にいれば、悲しさから発狂しそうだとすら感じていたので、仕事をしている間はそれに集中しなければいけない環境にいられること自体が救われたと感じていました。


活動に必要な最低限の食事量をとり、何の喜怒哀楽も感じないままただ息だけをしている…という生活が約2ヶ月ほど続きました。


なぜ2ヶ月だと覚えているかというと、ある日、仕事から帰って部屋で着替えをしながら点けたTVに目を落としていると、自分の意志や気持ちとは関係無く、「フッ・・」と笑ったことがあったのです。

いつものように、頭の中は真っ白で何の感情も湧いてこず、ただただ目がTVに向いていただけで、放送中のお笑いのネタが頭に入っていたわけでは全くなく、そしてそれを理解していたわけでもなく、当然ながらそれを「面白い」と感じていたわけでもないのに、勝手に自分の口が「フッ・・」と小さく笑ったんです。


「えっ・・・?今、わたし笑った?」と仰天しました。

その時、「そういえば亡くなってから今までの2か月間、何の感情も感じなくなっていたな。どうやって生きて過ごしていたのかも記憶が無い」ということに気付いたんです。


そこからは、感情が少しずつ戻ってきた感じでした。

人との交流も少しずつ復活し始めました。


(この後、半年ほど経った時に堂本剛さん主演の「ホームドラマ!」でわたしと同じ『自分の意志に反して勝手に笑う』という体験のセリフがあって驚きました。)






2ヶ月後から現在

それからは、自分と気持ちを共有できるものを求めました。

初めは家族、わたしの場合は特に母親とゲンキへの思いを共有することで少しずつ落ち着いてきたと思います。

ゲンキは私の次に母を慕っていましたので。

苦しい時、自分の気持ちを理解し共有してくれる身近な人がいると、本当に救われると思います。



後は、猫の映画やDVD(当時はビデオ)などを見て、思いっきり泣く!

本も読みました。

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特に癒されたのが、菊田まりこさんの絵本『いつでも会える』です。



いつも一緒だったみきちゃんを突然失った犬のシロ。

会いたくて会いたくて、そこらじゅうを探し回ります。

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でも、探せど探せどみきちゃんはいません。

「どこにいるの?シロって呼んで、頭をなでて・・」


でも、やがてシロは気付きます。

みきちゃんは、遠くて近くにいつもいる。

ぼくらはあの時まま。

ずっとかわらない。

いつでも会える。


この本、絵本ながら真理をついていて心を揺さぶられます。

わたしたちはいずれみんなこの世を去り、一つのものに還る。

見たり触れたり出来ないから遠くに感じるけれど、でも近くにいる。

こちらが意識を向ければ、一緒に経験していることを感じられる。

だから、意識を向ければいつでも会える。

死は、無になってしまうことではない。

この世に在るものが全てではない。

むしろ、この世に存在するものの方が虚像だとわたしは思ってる。


大切な家族を亡くした経験がある方には是非お勧めの本です。








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本に、作ったゲンキのシールが挟まっていました。
当時使うことが出来ずにとって置いたんでしょうね。



こうやって、感情が戻ってからは、感情を我慢せずに悲しみを共有できるものに触れて昇華してきた感じです。





自分には動物を飼う資格が無いと思っていたわたしが15年後にチョビと暮らしているのは、わたしが住む地域がノラ猫が多く、特に冬になると外の猫が気になって仕方が無かったからです。

今は「飼う資格が無い」なんて逃げずに、覚悟をもって天使たちに接していきたいと思っています。





+.+.+.

亡くなる数日前のゲンキは、甘えて長い時間わたしの母親の膝に乗っていることがありました。

普段から甘えんぼさんだったゲンキですが、母が「この間も長い時間ずーっと乗っていたのよ」と話していました。

そんな話を聞いた数日後、わたしの膝に乗ってきた時でした。

膝に乗りながら振り返って、うるうるした瞳でじっと見つめてきたのです。

ゲンキは表情豊かな子でしたが、こんなにも人間顔負けの感情豊かな眼差しを向ける子だったかな?ととても不思議な気持ちでした。

「ママ、大好き」って言っているようでした。


それから数日後、元気が無いことに気付いて病院へ連れて行き、3~4日闘病の末旅立ちました。

今思うと、ゲンキはお別れを予感していたんだろうな…と思います。



わたしはこの記事を書くことで、また少し悲しみが昇華されました。


この記事を読んでくれたあなたの悲しみが、ほんの少しでも昇華されれば幸いです。




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