すべては願う前に叶えられている。
あれから「完璧だ!」認定を続けることで、更に認識が進みました。
愛猫チョビは自己主張が強く、自分の言い分を聞いてもらえるまで鳴き続けるにゃんこです。
以前から「素直なゲンキとはエライ気質の違うにゃんこだ・・」なんて思っていたんですが、気付けば、わたしは愛猫ゲンキを亡くしてから「もっと一緒に遊んであげれば良かった。もっともっと一緒にいてあげれば良かった。ゲンキが良い子で大人しいから、ゲンキの思いに気づけなかった・・」と何度も何度も後悔をしていました。
だから、今一緒に暮らしているチョビは自己主張がはっきりしているのです。
このことに気付いてからは、チョビの要求をきくことに充実感を覚えるようになりました。
それまでは、自分の時間を奪われている…という気持ちもどこかにありました
けれどわたしにとってチョビと一緒に遊ぶこと、寛ぐ時間が、かけがえのないものだと気付いたのでした。
わたしは普段テレビを全く見ませんので、マスク不足になっていることもはっきりとは認識していませんでした。
「勤めに出るにあたってマスクはあった方が良し、買い物ついでに買っておこうか」とついでに寄ったダイソーで陳列されていたマスクを1箱買いました。
で、10分程店内をウロウロしてもう一度同じ棚を見たのですが、もうマスクは完売になっていました。
同様に、トイレットペーパーが店頭に無い事態になっていることも、はっきりとは認識していませんでした。
(マスクもトイレットペーパーも「世間では不足になっているらしい」という程度には認識していたのですが、「まあ地元にはちょっとくらいあるやろ」くらいに思っていました)
ですが、先月偶然トイレットペーパーを間違えてダブって購入していて、普段ならもう在庫が無くなってしまう頃だったのに、在庫に余裕がありました。
この他、宅配便が届く予定の日に急用で出掛けなくてはいけなくなり、受け取りを諦めて外出し、帰宅すると同時に荷物が届いたり。
不本意ながらも勤めに出る覚悟を決めましたが、エントリーした仕事先が当初の条件と違うことを提示してきてもキチンと辞退を申し入れることも出来ました。
以前のわたしなら「ここで断れば、またすぐ見つかるかわからないしな・・」と我慢して受けるところでした。
そうこうしているうちに、お断りを入れた仕事の場所より近くて、わたしの苦手な電話対応がない仕事先に勤めることが決まりました。
前にエントリーしていて無しのつぶてだったので、とうに諦めていた案件だった仕事先です。
「あー。勤めたくないけど、(金銭的に)ヤバイから不本意ながら探さなアカンか・・」と重い腰を上げ始めて2週間後のことでした。
今不本意ながらも(何度も書くほど本当に不本意です 汗)行っていますが、就業先のみなさん接しやすくてイイ人達です。
そして、勤め先では極力エネルギーを使いたくないわたしにとっては最良の単純作業多め
その他にも臨時収入54,000円ほどはありました。
ここでふと気付いたのですが、『願う前に叶っていることが多い』ということです。
改めて願うほどではない小さな願望は叶う。
いえ、小さな願望が叶いやすいということではないんです。
願望として認識するほどのものでは無い、「○○だったらいいな~。でもそうでなくてもいいか~」
という心の状態のものがとても叶いやすい、ということなんです。
自分にとって手が届きにくいと無意識に感じているものは、「叶えたい!(手に入りづらいから絶対に欲しい)」と感じます。
でも、この心理状態ではなかなか叶わないだろうということは、このブログ記事をお読みの方々ならお分かりだと思います。
「叶えたい=絶対に欲しい」ということは端的に言うと、自分がそれを手にする資格が無いという表明なのだから。
自分で自分の価値を(低く)決めつけてしまっている。
どんなに素晴らしく感じることでも、自分はそれをいつでも好きな時に手にする資格が当たり前にあるという正しい認識であれば、「○○だったらいいな~。でもそうでなくてもいいか~」という状態にとてもなりやすい。
そこで思い出しました。
わたしが初めて大きな気づきを得た2012年、なんとも不思議な夢を見たことを。
わたしは美しい、だけどモノクロの川の前に立っていました。
視線を上げると、今度はカラーの美しすぎる神秘的な森が広がっています。
木々は白樺のように白く、けれど今にも木の鼓動が聞こえそうなほど生命力と躍動感に溢れています。
重なり合う葉からは木漏れ日が差し込み、きらきらと輝いています。
わたしは、これは夢だと認識していました。
美しく光で輝く緑を、もっとはっきりと見たい!
なのに、ぼやけてはっきりとは見えない。
「どうせはっきり見えることなく夢から覚めるんや・・」
そう思った瞬間、ピーッとピントが合いました!!!!
「えっ!?!?!?!?」と驚いた瞬間、ほんとに目が覚めました。
これやーーーーー!!!!
これが本来の有様なんですよ!
願う前に叶えられている。
不足を感じた瞬間に、充足は流れ込んでくる。
不足を感じたその瞬間、同時に充足の世界が現れる。
これがデフォルト、当たり前。
これが本当の有様。
けれど、現実には時間が存在している(と認識している)。
だから充足が流れ込むまでにはタイムラグがある。
このタイムラグの間に「願い」と認識してしまう。
「願う」とは、「今、わたしには無い」と宣言していることと同じだ。
だから「願う」ことすら意識上に上がらないことは、知らないうちに必ず現実化している。
ああ、だからか・・。
「意図したら(一度お願いしたら)そのことは忘れる方が叶いやすい」と言われる所以は。。
だから「既にある」んですね。
タイムラグの間は、安心して楽なこと・楽しいこと・やりたいことを全力でやればいい。
ここで更に何度も「願う」ことは、「わたしには無い」と言い続けていることになってしまう。
それを「得るため」にすることもそう。
それは「わたしには無い」という表明に他ならない。
このタイムラグに間に対処しなければ、勝手に充足は現れる。
そうです。
このタイムラグの間に要らないことをしなければ、勝手に充足は流れ込んでくるんです。
要らないこととは、願いという「不足」に取り組むということです。
こんなものは放っておけば勝手に叶ってしまうものを、わたしたちは一生懸命何とかしようとそこへ取り組んできたわけです、、、。
これを止めちゃえばいいだけです。
なんて簡単でシンプル!
あ、そうそう。
なんで勤めに出なきゃいけなくなる状況になるんだろう・・って疑問に思っていました。
以前どこかで108さんが「受け取りたくないものの中に望んでいるものがある」というようなことを言っていたことを思い出したんです。
で、はたと気付きました。
昔々、まだわたしが正社員で働いていた頃、「もうわたしくらいの勤続年数になると、人に教える立場ばっかりなんだな・・。疲れるわ~。わたしだってもう一度教えられる立場になって楽したいよ~」って思ってたんです!
そして程なくしてその会社は倒産し(上記の理由以外に、人間関係にはさほど不満は無いものの、わたしはこの仕事を辞めたくて辞めたくて、仕方ありませんでした)、以降わたしは派遣会社に登録し、ずっと教えてもらえる立場になっています。
って、ホントに受け取りたくないものの中に望んでいたものがあった!!!!
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