ゲーム感覚で始めた2人の引き寄せゲームの行方は・・
数年前、まだ今ほどは現実に対する認識が緩んでない頃のお話です。
つまり『(自分とは何の関連も無く動いていく)現実に上手く対処していかなければ、上手く生きていけない』と当然のように認識していたところへ、
『目の前の現実は、どうやら自分の内面が反映しているにすぎないらしいぞ。でも、自分なんぞに現実世界様を動かす力なんてあるのだろうか・・』と感じ始めた時期のことです。
その当時、同僚の女性と最寄り駅が近いということで、仕事帰りはいつも同じ地下鉄で帰っていました。
その人は、会社の繁忙期で人手が足りないとのことで、期間限定で入って来られた女性でした。
話しをするうちに、お互い目に見えない世界に強く興味を持っていることがわかり、帰り道に2人で引き寄せゲームをしてみることにしたのです。
ルールは簡単。
「2人が座れる空席」を引き寄せてみることにしたのです。
毎日です。
帰りの時間帯は、丁度帰宅ラッシュが始まる時間で、学生の帰宅時間とも重なっていました。
大体座席は埋まっていて、降りる駅まで立ったままが普通でした。
1人分の空席がみつかればラッキー!といった状況でした。
それなのに、この引き寄せゲームを始めてから1日を除いて、毎日2人は座席に座れました。
乗車率100%前後といったところでしたが、2人が乗車するとちょうど2人分の座席が空いてる、という具合でした。
1日を除いてと書いたのは、わたしが「2人分の座席が空いたところへ、前に並んでいるおじさんがそこへ座ったらめちゃ笑けるな!」と想像したら、見事その通りに目の前で展開したからです。
それを即座に笑い転げながら同僚に話したら「えーっ!わたしは真剣にイメージしてたのに!Tomomiさんも真面目にイメージしてください!」と言われちゃいました
そして1ヶ月と少しが過ぎ、同僚が辞める日が来ました。
翌日、1人でまたイメージしましたが、それからは座れたり座れなかったりになりました。
同僚が辞める前、「帰宅途中ではない時に1人でイメージをしたけれど、なかなか座れない」と2人とも話していたことがありました。
このことから、1人の力より2人以上の方が引き寄せの力も強まるのだと、その時は考えていました。
ですが、今は思います。
人数の問題ではなく、わたし自身が自分の力を信じることが出来なかったからだと。
「この現実世界は、自身の内面が反映されるという法則がどうも働いているらしい。でも、わたし自身にその法則を意識的に適用する力はあるのだろうか?」と考えていたから、1人では座れなくても2人でなら毎日座ることが出来たのだと思います。
つまり、法則自体は信じられたけれど、自分のことは信じていなかったということです。
でも、わたしにとって頑なだった現実世界様が、いとも簡単に違う様相を見せてくれたことで、現実に対しての観念は、またしても大きく揺らぐ出来事となりました。
それは、法則に対して更に確信を持つことができた出来事とも言えます。
ちなみに後で気付いたのですが、座れなかったのが当たり前に混雑していた地下鉄なのに、毎日座れたのは理由があります。
学生が夏休みに入っていたのでした
ちょうど「引き寄せしよう!」と2人で思い立ったのが7月頃。
同僚が辞めたのは8月末日でした。
偶然夏休みと重なっていた、というわけです。
なるほど、納得できる後付けが用意されるわけですね
頑として動かないと思われている現実世界様。
それは本当でしょうか?
ちょっと現実世界様を疑ってみるのはいかがでしょうか。
「目の前に展開している現実世界は、本当だろうか?
いやいや、怪しくない?
無いって怪しいよ。
本当は既にあるんじゃない?」という具合に、エゴの習性を利用して逆手にとってみるのです。
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コメント
コメント一覧 (4)
moffmocolontaさん
そうですね。
ただ、この時に限れば内面の充実も無かったです(^^;)
ゲーム感覚で気軽に出来ました。
でもそれは、2人ですると現実が変わらなくても自分のせいにしなくても良い、という逃げがあったから気軽に出来たのかもしれません。
なので、気が合う人がいれば、このゲームもおススメです♪
「既にある」という充足に焦点を合わせられなければ、エゴの性質を利用して「現実を疑う」というアプローチ法で、認識の変化が訪れてもいいのかな、と思い書きました(^^)
moffmocolontaさん
「そのことが起こって欲しい気持ちを手放せますか?」と手放す方法でしょうか?
表層意識では起きて欲しくない!と思っていても、実は潜在的には、起こって欲しい気持ちを握りしめています。
ですので、「それが起こって欲しい気持ちを手放せますか?」と問うて手放す、というメソッドなのです。
「起こって欲しい気持ちを・・」と自分に問うた時、どこかスッキリとした気持ちを感じませんでしたか?
これは、無自覚に握りしめていた「恐れが実現してほしい」という気持ちを暗に認めたことからくる安心感なんです。
ですので、このメソッドで効果が感じられない時は、思い切ってその恐怖を直視し、その恐怖の何を一番恐れているのか見つめてみて「それが起こったって、別に構わない」と開き直るのも効果的です。
究極的に、わたしたちはどうやたって死ぬことはありませんし。
わたしは不安になるとよく、「まあいいか。どうせ死ぬだけだし」とつぶやきます(^^;
どうせ死なないと知っているからつぶやいても怖くないし、不安は薄まるのです。